2026/07/22 17:23


きっと昔のわたしみたいに、漠然と「お金のため」「将来のため」「不安だから」という理由で、出産後も仕事を続けている人は少なくないと思う。

もちろん、仕事が好きで、自分らしく働いている人もたくさんいる。
ただ、世の中には「共働きが当たり前」という空気もあって、本当は自分がどうしたいのかを考える余裕すらないまま、毎日を走り続けている人もいるのではないだろうか。

朝、余裕を持って子どもを学校へ送り出し、帰ってきたら「おかえり」と迎える。
学校であった出来事を聞きながら宿題を見て、一緒におやつを食べる。
晩ご飯の前にお風呂を済ませ、家族みんなで夕食を囲み、眠る時間までゆったり過ごす。

何か特別なことがあるわけでもないし、贅沢な暮らしでもない。
でも、わたしにとっては、それが何よりの豊かさだった。

子どもが真っ直ぐこちらを見てくれる時間は、思っているよりずっと短い。
だからこそ、この貴重な時間を、できるだけ丁寧に味わいたいと思った。

仕事と育児を両立していた頃は、自分の余裕のなさから、子どもに必要以上にきつく当たってしまう日もあった。
あの頃の自分を責めたいわけではない。
あの時のわたしも精一杯だった。
ただ、子どもの寝顔を見ながら「ごめんね」と思う日を、少しでも減らしたいと思った。
いつか子どもが親離れし、わたしも子離れするとき、この日々は何にも代えがたい宝物として心に残るだろう。
できることなら、子どもの心にも温かな記憶として残っていてくれたら嬉しい。

だから今のわたしにとっての幸せや豊かさは、誰かから見たら平凡な毎日かもしれない。
それでも、家族みんなでおいしいものを食べる時間や、くだらないことで大笑いする時間。
そんな何気ない一つひとつが、当たり前ではなく、かけがえのないものだと思える。

もし豊かさや幸せの基準が、誰かに与えられたものだったなら、きっと今の暮らしでは満たされなかっただろう。

でも、自分で選び直した基準だからこそ、今のわたしは心から「幸せだ」と思える。
子どもには、好きなことを大事にして生きてほしい。
そう願うのに、自分自身がそれをできていなければ、あまりにも説得力がない。
そう思ったことも、この選択を後押ししてくれた。

もちろん、この選択はわたし一人の力でできたものではない。
仕事と子育てと家事の両立が苦しくて、「もうしんどい」とこぼしたとき、
職場の同僚が「辞めてもいいと思う」と背中を押してくれた。
そして夫も、「いいよ」とわたしの気持ちを受け止めてくれた。

あの言葉がなければ、きっと「みんな頑張っているんだから」と自分に言い聞かせて、今も無理を続けていたと思う。

だから今の暮らしは、わたし一人では選べなかった。
周りの理解と優しさがあったからこそ、選ぶことができた幸せでもある。

そしてきっと、その基準はこれからも変わっていく。
3年後、5年後にはまた違う景色が見えているかもしれない。
その頃には外へ働きに出ているかもしれないし、大切にしたいものが変わっているかもしれない。

その時々の自分が、本当に大切だと思えるものを選びながら生きていけたら、それでいい。