2026/06/21 15:08


前の職場の同僚Mさんとランチへ行った。

年も近く、お互い独身時代から知っている仲だ。結婚した時期も、出産した時期も近い。

だからこそ、気兼ねなく色々なことを話せる。

彼女は今も正社員として働きながら、時短勤務で共働きを続けている。

保育園の送り迎え、日々の買い物、料理、掃除。

毎朝の「行きたくない」と、帰り道の「公園に行きたい」との攻防戦もある。

職場と自宅も決して近くはなく、在宅勤務は週に1回だけ。話を聞いていて思った。

もう十分すぎるほど頑張っている。

それが、現代社会の「当たり前」になりつつある。

もちろん、できないわけではない。

実際、わたしたちより上の世代の先輩方も同じような生活を続けてきた。だからこそ厄介だ。

ギリギリでも何とか回ってしまう。

限界を超えていても、周囲からは「できているように見える」。

本当は体力も精神力も削られているのに、「しんどい」と声を上げにくい。

昔に比べれば、家事や育児を担う父親も増えた。

それでも現実には、女性側の負担が大きくなりがちだ。

時短勤務を選ぶのも多くは女性で、周囲に気を遣いながら働き、キャリアアップの機会を手放すこともある。

そして、ふと思う。

その仕事は本当に心の底からやりたい仕事なのだろうか、と。

もちろん、仕事そのものに生きがいや情熱を感じている人もいる。

けれど、多くの人にとっては生活のため、お金のために働いている側面も大きいはずだ。

もし経済的な不安がなければ、子どもが小さいうちはもう少し余裕を持って育児や家事に向き合いたい。

そう思う人も少なくないのではないだろうか。

額面の数字は上がっても、手取りはそれほど増えない。

毎日必死に走り続けているのに、報われている実感を持てず、虚しくなることもある。

時間に追われる日々の中で、子どもには「早くして!」と急かしてしまう。

本当は笑顔で抱きしめてあげたいのに。

もっと優しい言葉をかけて、安心させてあげたいのに。

そう思えば思うほど、自分を責めてしまう。そりゃあ心も荒む。

一体、誰を責めればいいのだろう。

夫なのか。

会社なのか。

社会なのか。

政治なのか。


わたしはMさんに、もう少し負担を分散できないか、パートナーと話し合ってみてはどうかと伝えた。

彼女は「話し合うこと自体がもう面倒で、結局わたしがやった方が早い」と言っていた。

その気持ちもよく分かる。

けれど、「わたしばっかり」が積み重なると、夫への愛情は少しずつ削られていく。

そして、その空気はきっと子どもにも伝わる。不満を抱えたまま年月が過ぎ、

子どもが手を離れた頃、夫婦の関係はどうなっているのだろう。

そんなことを考えた。


結局のところ、母親が少しでも機嫌よく過ごせることは、家族全体にとって大切なことなのかもしれない。

母が笑っていれば、子どもは安心する。

夫への言葉も少し柔らかくなる。


だからこそ、「もう無理!」と声をあげて「頑張りすぎないこと」をもっと当たり前にできる社会になってほしいと思う。