2025/08/04 16:32



「何者かになりたい」——そんな願望だけは、昔から貪欲に抱いていた。

けれど、自分には人に誇れるものなんて何もないと思い込んでいた。
たとえ得意なことや褒めてもらえることがあっても、
他人と比べては「わたしなんかがやっても意味がない」と、
磨けば光るかもしれない原石のかけらを、早々にポイッと手放してきた。

それでもなぜか、根拠のない「見えない自信」だけは心のどこかにあった。
いつか誰かがわたしの秘めた才能を見つけ出してくれて、
人生が一変する日が来る——そんな、映画やドラマのような淡い夢を信じていた。
まるで中二病のマスコットを、20代になっても首からぶら下げて生きているような状態だった。

けれど、30歳が目前に迫った頃、ようやく気づいた。
じっと待っているだけでは、何も起こらない。
この先の人生、自分自身で舵を切らなければ、
最期にきっと、めちゃくちゃ後悔する…!
そう思って覚悟を決めた。

一度決めたら、すぐに行動せずにはいられない私は、
まずマッチングサイトに登録した。
「30歳までに“いいと思える人”に出会えなければ、恋愛はスッパリ諦めて、仕事を本気で頑張る」
そんなルールを自分に課し、婚活を始めた。
(そこからいろいろあったけれど、ここは割愛)

その後、今の夫と出会い、交際から11ヶ月で入籍。
翌年には妊娠・出産を経験し、子育てと仕事を両立する日々が始まった。

子どもが生まれてからは、「母」という役割が生活の大半を占めるようになった。
やらなきゃいけないことは山ほどあるけれど、
独身時代とは違う角度から、「自分とは何か?」という問いが、心に芽生えてきた。

出産直後はとくに、「すべてが子ども」になる。
今はそれでいいのかもしれない。
でも、いずれ子どもは成長し、自分の元を巣立っていく存在。
子どもだけで自分を満たしてしまうと、
きっといつか、自分が空っぽになる——そんな不安に襲われていた。
そうならないために、今のうちから何か始めなくては。そう思っていた。

そんなとき、あるガラス作家さんの花瓶を買った。
花を飾るために選んだその花瓶がきっかけで、「吹きガラス」というものを知った。
すぐに体験できる工房を見つけ、夏の暑い日に足を運んだ。
もちろん、初めから上手くはいかない。でも、ただただ楽しかった。
「母」でも「妻」でも「会社員」でもない、“わたし”でいられる時間だった。

わたしはずっと、「社会人として」「大人として」「女性として」ちゃんとしなきゃ、
「できて当たり前」——そんな感覚を当たり前のように自分に課していた。
「ちゃんとしなきゃ」「空気を読まなきゃ」
求められたわけでもないのに、誰かの期待に応えようとばかりしていた。
そのうち、自分が本当にしたいこと、どうなりたいか、
“自分らしさ”が、わからなくなっていた。

自分が嫌い。
自分に自信がない。
自分を愛したいのに、愛せない。

これは、ぜんぶ過去のわたし。
今も完全に抜け出せたわけじゃないけれど、
「自分はこんな思考のループにハマっていた」と気づけただけでも、
大きな一歩だったと思っている。

世の中で“成功している人”や“魅力のある人”は、
どこかで必ず努力をしている。
でも、根性とか気合とか、そういう体育会系のテンションがどうも性に合わない。
きっと、そういう人も多いと思う。
だからといって、それが“甘え”なわけでもない。
本当に好きなことをしているときって、
他人から見れば「努力してる」と思われることも、
本人にとっては苦じゃなかったりする。
しんどい、大変。でも、それより「楽しい」「好き」が勝ってしまう。
だから、手が止められない。
それが、“向いていること”なんだと思う。

昔から、好きや得意がわかっていても、
「お金にならないから」「仕事にはならないから」と
刷り込まれた考えにしばられて、手を出さずにいる人は多い。

わたしにとって、それは“ものづくり”だった。
学生時代も、美術や図工は頑張らなくても評価が良くて、
何より、つくる時間がただただ楽しかった。

作ることに集中していると、悩みや不安がどこかへ消えていく。
目の前にある素材と、ただ向き合う時間。
その静かな没頭が、心の奥にしみるように心地よかった。

そして不思議なことに、できあがった作品に対しては、あまり執着がない。
上手くできたものは、自分の手元に置いておくよりも、
気に入ってくれた人のもとに旅立ってほしいと思う。

余計な欲や邪念が入っていない状態で作った作品だからこそ、
たとえプロから見て技術的に未熟であったとしても、
わたしは、それを誇りを持って差し出せる。

だから harubo の作品を通して、私が伝えたいことは…

「自分を思いっきり甘やかしていい。
 まず一番に大切にするべき存在は、他の誰でもない自分自身。」
ということ。

そして、そんなふうに自分を大切にできる人が増えていけば、
その姿を見た誰かがまた、自分を大切にし始める。
そうやって、優しいループが生まれて、
「生きづらい」なんて言葉が、いつか廃れてしまうような
そんな世の中になってくれたらいいなと思っている。