2025/05/29 10:43


先日、とある待合室で耳にした、二人のご婦人の会話。
会話の内容からするに70代のご婦人達。
1人はおしゃべり好きで、会話がどんどん弾むタイプ。パートもバリバリこなしていそうなご婦人と、もう1人はその方よりも少し年上かな?と感じる控えめなご婦人。
会話好きそうなご婦人が、ほぼお1人でお話していた内容・・・
「わたし、60代でいいの。10代や20代なんて贅沢言わない、あと10年でいいから戻りたいのよ!」と、どういう話の流れだったかは覚えていないのですが、とにかく60代でいいから戻りたいと力説している。
それを聞いていて何だか面白くて、すごく心に残った言葉でした。ちなみに馬鹿にしているとかそういう意味での面白いではない。
ギリギリ30代の私にとって、70代はまだ30年も先のこと。
今から30年も経てば、今よりも断然中身も大人になってそうだなと思うような年月を生きていても、10年でいいから戻りたいなんて思うんだなと。
何だかウルトラマンになりたい!と夢中で言う子どもみたいで、どこか可愛らしい。そんな意味での「面白さ」だった。

ただ、よく考えれば70代と言っても個人差があるのだから、70代のご婦人が10年前に戻りたいと言っているから面白いって事でもないのかなとも思えてきた。
同じ30代にだって、10代・20代も戻りたいって言ってる人もいれば、今が1番楽しいと言っている人がいるように、そこに年代って関係ないなと。

よく言われていることだけれど、「今」を大切にしていない限り、きっとそういう人は80代になった時には70代に戻りたい。
90代になった時には80代に戻りたいって言い続けるんだろうなと。
別にそれが良い、悪いという話ではなく。
自分がどちらでいたいのか。
そこが重要で、生きていく上の指針にもなるような気がする。

ちなみに、わたしは今が1番楽しいし、今が幸せだと胸を張って言える。
念のために言っておくと、「生まれてからずっと楽しい!」を更新し続けてきたわけではない。

物心ついた頃から、ずっと対人関係の難しさ、煩わしさみたいなものに囚われていたし学校なんて、できれば行きたくなかった。
発熱して、早退できないかなーといつも考えているような学生でした。
別にいじめられていたわけでもないし、両親も健在で、なんの不自由もない生活で
気に病む要素はこれっぽっちもないのに、ひどく悲観的で得体の知れない生きづらさを感じていた10代〜20代を過ごした。

その生きづらさを象徴する1番古い記憶が、小学校低学年の時の思い出。
鍵っ子だったわたしはある日、自宅の鍵を忘れて学校に行き、帰ってくるも、母が帰っておらず閉め出されてしまう。
(※今じゃ考えられないんですが、30年前の当時はこんなの普通でした)
仕方なく自宅団地の階段で母が帰ってくるのを待っている時に「自分はこの世界の人間じゃない。誰か、早く迎えに来て…」そんな思いで空を見上げていた。

中学、高校と仲のいい友人に恵まれているにも関わらず、いつも心のどこかに陰があって、世界を視る目がひねていた。

ここから以前noteで書いた「ごく当たり前のことに気がつくまでに30年もかかってしまった。」に続くのですが・・・。
さらっとまとめると、流れに任せて、他責で生きるのをやめた。

自分で選択することを意識して、徐々に行動や環境を変えてから、みるみる変化があらわれた。
これまでは1ミリたりとも考えもしなかった結婚や出産、最近に至っては短期アルバイトから這い上がって正社員になった会社を退職。
自分で決めたことが、思いもよらない方向へ日常を変えていった。
未知で恐怖や不安を抱いていたものが意外と大丈夫だった!という経験値を得ることで、自信にも変わっていったのだと思う。
そこからは、今が楽しいをずっと更新し続けている。

そして、これから40代、50代、70代になっても「今がいちばん幸せ」と言える時間を、これからも更新し続けていきたい。
未来のことばかり考えて、心配や不安で動けずにいるより、今この瞬間をしっかり楽しんで味わって生きていたいと思う。
良い加減で、適当に、をモットーに。
それを忘れないために、わたしは心の中で小さな所ジョージを飼っている。